サットヴァ・ロースト

コーヒーの味は、焙煎で決まると言われます。これは半分正しく、半分は誤解です。

焙煎は、単に豆を加熱する工程ではありません。豆の内部で起きる化学反応を通じて、味と香りを成熟させる工程です。同じ豆、同じ焙煎度合いでも、進め方が違えば、まったく別のコーヒーになります。

シツジ珈琲は、自社の焙煎をサットヴァ・ローストと名づけています。アーユルヴェーダで「調和・透明・穏やか」を意味するサットヴァ。その状態を、コーヒー豆の中に生み出すための焙煎技法です。

その核心は、ひとことで言えばこうです。

水分が、コーヒーを甘くする。

焙煎の3フェーズ ― シツジが最重要視するのは「水抜き」

焙煎は、大きく3つのフェーズに分けられます。

フェーズ何が起きるか味への影響
① ドライ
(水抜き)
豆の水分が蒸発する。
釜内の温度・湿度環境が形成される
味の土台がつくられる
② メイラード糖とアミノ酸が反応。
香り・甘味の中核成分が生まれる
コーヒーらしい味と香りが形成される
③ デベロップメント1ハゼ後、焙煎度合いを決める仕上げ段階数秒の差で味が大きく変わる

味が最も劇的に変化するのは、デベロップメントフェーズです。1ハゼ後の数秒で味が変わってしまうため、焙煎家の多くはこの最終フェーズを最重要視します。確かに、ここでの判断が焙煎の出来栄えを左右することは間違いありません。

ただし、シツジ珈琲は少し違う考え方を持っています。

サットヴァ・ローストが最も大切にするのは、最初のフェーズ――水抜きです。

料理で言えば、下味の工程

料理を作るとき、味付けは下味で決まる、とよく言われます。

下ごしらえの段階で塩を当て、水分を整え、素材の状態を引き出しておく。本格的に火を入れる前のこの工程が雑だと、後でどれほど丁寧に仕上げても、味に芯がない料理になってしまいます。

逆に、下味がきちんと入っていれば、最終的な味付けは控えめでも、深い味わいが立ち上がります。

焙煎も同じです。水抜き工程は、コーヒーの「下味」。メイラード反応が始まる前のこの段階で、豆の状態を整えておかないと、その後どれほど丁寧にメイラードを進め、デベロップメントを仕上げても、味に芯のあるコーヒーは生まれません。

ニュークロップを「数分の水抜き」で済ます問題

収穫されたばかりのニュークロップ(新豆)は、水分量が多く、内部状態も均一ではありません。本来であれば、丁寧に水抜きしながら、内部の水分分布を整えていく必要があります。

ところが、業界には「水抜きは早く済ませる」という考え方が根強くあります。ニュークロップでも、数分レベルで一気に水分を排出してしまう焙煎が珍しくありません。

このやり方では、味も成分も整いきりません。豆の内部で起きるべき準備が間に合わないまま、メイラード反応に突入してしまうからです。下味の工程を省略して、いきなり強火で焼き始めるようなものです。

Point 1

水抜きは、焙煎の下味

焙煎家の多くが重要視するのはデベロップメントフェーズ。シツジ珈琲は、その手前――水抜き工程こそが味の土台を決めると考えている。

① 水抜き工程

生豆には、通常10〜12%の水分が含まれています。焙煎初期、この水分が蒸発していく段階が水抜き工程です。

シツジ珈琲は、水抜きを焙煎の基礎条件を整える工程として位置づけています。

水抜きの3つの方向性

水抜きの進め方には、大きく3つの方向があります。

1. 急激な水抜き

焙煎初期から強い火力を与え、短時間で水分を排出する方法。多くの焙煎で見られるアプローチです。「水分は早く抜くべきもの」という考え方に基づいています。

豆の内部水分が急激に蒸発し、蒸気は強い排気で釜外に排出されます。釜内環境は乾いた状態となり、豆への熱は高温空気の対流釜壁からの伝導で直接的に伝わります。

すると、豆の表面温度が急速に上昇する一方、内部はまだ水分が多く、温度上昇が遅れます。結果として――表面と内部の温度差が大きく開く

表面で先に反応が進むため、内部が整う前に焙煎が進み、酸味は鋭く、焙煎香は強いが一面的、甘味は十分に形成されない、という焙煎になります。

2. 時間をかけすぎる水抜き

「丁寧に焙煎しよう」と考えて、初期段階を過度に長く取る方法です。火力を弱くしすぎる、あるいは乾燥工程を長引かせるアプローチ。

水分は穏やかに抜けますが、時間をかけすぎると別の問題が生じます。豆の水分が早い段階で抜けすぎ、その後も豆は長時間熱を受け続けることになる。豆内部が乾いた状態で長時間加熱される状態です。

水分が抜けた豆は、蒸気の緩衝がなくなる。しかし火力が弱いため反応は十分に進まない。エネルギーは入っているが、反応を進める力が弱い――反応が鈍くなります。

この状態で焙煎されたコーヒーは、香りが弱く、味が重く鈍く、活力のない平坦な味わいになります。焙煎の世界では「ベイクド(baked)」と呼ばれる症状です。

3. 水分と湿度を活用する水抜き ― サットヴァ・ロースト

シツジ珈琲のサットヴァ・ローストは、水分を「排出すべき敵」として扱いません。豆が持っている水分と、そこから生まれる釜内の蒸気を、焙煎環境づくりに活用するという考え方を取ります。

一般的な焙煎サットヴァ・ロースト
水分の扱い早く抜くべきもの(敵)焙煎環境を整える要素(活用)
蒸気の扱い排気で釜外へ排出釜内環境を形成する媒体
目的水分を除去する豆内部の水分状態を整える

焙煎初期、豆の内部水分が徐々に蒸気となり、釜内に穏やかな湿度環境が生まれます。この蒸気は単なる副産物ではなく、熱を穏やかに運ぶ媒体として機能します。

なぜ水分を活用するのか

蒸気は空気よりも効率的に熱を伝える

蒸気(水蒸気)は、空気よりも熱容量が大きい性質を持っています。水蒸気の比熱は乾燥空気の約2倍。つまり、同じ温度でも蒸気の方が多くの熱を運べます。

蒸気が存在する環境では、熱は次のように伝わります。

  • 豆表面の急激な過熱が抑えられる ― 蒸気が熱を緩衝するため、表面温度の急上昇が起きにくい
  • 熱が穏やかに内部へ伝導する ― 蒸気を介した対流熱伝達は、乾いた空気よりも均一で安定している
  • 表面と内部の温度差が小さく保たれる ― 結果として、豆全体が均一に温まっていく

サウナとスチームバスの違い

分かりやすい例えがあります。サウナとスチームバスです。

サウナ(乾式)は80〜90℃でも耐えられますが、スチームバス(湿式)は40℃でも熱く感じる。これは、蒸気の方が効率的に、かつ穏やかに熱を伝えるからです。

焙煎の釜内でも同じことが起きています。乾いた環境では、熱は直接的に豆表面を叩く。表面で反応が先行し、内部が追いつかない。この温度差が、味の「鋭さ」「角」を生み出します。

蒸気環境では、熱が柔らかく豆全体を包む。表面の過熱が起きにくく、内部まで穏やかに熱が伝わる。反応が豆全体で滑らかにつながるため、味に角がなく、甘味やコクがまとまって現れるのです。

「水分を抜く」のではなく「水分状態を整える」

サットヴァ・ローストにおける水抜き工程の目的は、水分を完全に除去することではありません。豆内部の水分状態を整えることが目的です。

水分を急激に排出するのでもなく、長時間かけて抜きすぎるのでもなく、豆の水分が焙煎の反応に働く状態を保ちながら、徐々に整えていく。この状態が整ったとき、豆は次のメイラード反応の段階へ無理なく移行できる準備が完了しています。

「蒸し焼き」ではない

重要な注意点があります。サットヴァ・ローストは「蒸し焼き」ではありません。

蒸し焼きは外部から蒸気を加えて調理する方法ですが、サットヴァ・ローストでは豆自身が持つ水分から自然に生まれる蒸気を活用します。外部から蒸気を加えるのではなく、焙煎の進行とともに豆自身が生み出す蒸気環境を、排出しすぎずに保つ操作です。

Point 2

水分を活かし、豆全体を均一に整える

水分は排出するものではなく、活用するもの。蒸気を介して熱が穏やかに伝わると、表面と内部の温度差が小さくなり、豆全体が均一に整う。これが角の立たない味の出発点。

② メイラード反応 ― 味と香りが生まれる時

水抜き工程で豆の状態が整うと、いよいよメイラード反応が始まります。

メイラード反応とは、糖とアミノ酸が熱によって反応する化学反応です。コーヒーの味と香りを形成する中心的な反応で、焙煎温度が約140〜165℃に達した段階から本格的に進行します。

メイラード反応によって生成されるものは、こんなにも豊かです。

  • 香り成分(ピラジン、フラン、チオールなど) ― ナッツ、キャラメル、チョコレート、フルーツなどの香り
  • 甘味 ― 糖の反応による甘味成分
  • 複雑な味わい ― 数百種類の化合物が絡み合う多層的な味
  • メラノイジン ― 褐色色素。コーヒーの色、ボディ、エスプレッソのクレマにも寄与

170℃を超えるとキャラメル化も同時に進行し、味はさらに複雑さを増していきます。

メイラード反応の進み方

メイラード反応の質は、直前の水抜きで豆がどれだけ整っているかによって、大きく変わります。

1. 内部状態が整っていない場合

水抜きが不十分・急激だった場合、豆内部の温度と水分の分布は不均一なままです。この状態でメイラード反応が始まると、表面では反応が強く進み、内部では反応が遅れる。結果として、反応のバランスが崩れ、酸味は鋭く、甘味は弱く、味の層が浅いコーヒーになります。

2. 過度に焙煎を進めた場合

メイラード反応の後、焙煎をさらに進めすぎた状態。2ハゼ以降まで進行する深煎りや、デベロップメント時間が長すぎる場合に起きやすい。生成された甘味・香り成分が熱分解や炭化によって破壊されていきます。焦げの要素が増え、糖由来の甘味が失われ、繊細な香り成分が揮発して消える。

3. 整った状態で進む場合

水抜きで豆内部が整っていれば、メイラード反応は豆全体で均一に、安定して進みます。糖の生成が安定し、香味成分の形成がバランスよく進む。反応が不足にも過剰にもならない適切な到達点で焙煎を終えれば、甘味が自然に現れ、酸味は尖らず、苦味は調和した、整ったコーヒーが生まれます。

Point 3

メイラードの質は水抜きで決まる

水抜きが整っていなければ、メイラード反応もバランスを欠く。下味が決まっていない料理に、いくら丁寧な仕上げを施しても、芯のある味は生まれない。

③ ひみつの工程

サットヴァ・ローストが最終的に整った状態に到達するためには、もう一つ、欠かせない要素があります。

それは、シツジ珈琲が長年積み重ねてきた経験の中で培った、独自の「ひみつの工程」です。

水抜きで下味を整え、メイラード反応を均一に進める。それだけでも他の焙煎とは異なる味になりますが、サットヴァを完成させる最後のピースは、この秘伝の工程にあります。

具体的な内容は、ここでお伝えすることができません。シツジ珈琲が長年の試行錯誤の中で見出してきた技術であり、これがあるからこそ、サットヴァ・ローストは深煎りでも甘く、刺激が穏やかな状態に仕上がります。

水抜き、メイラード、そして秘伝。この3つが揃ったとき、コーヒーは調和した状態(サットヴァ)に到達します。

3種類の焙煎 ― グラフで見る全体像

ここまで見てきた3つの焙煎を、トリグナ(サットヴァ/ラジャス/タマス)のバランスで可視化すると、それぞれの焙煎の性格がはっきりと見えてきます。

急激な焙煎

急激な水抜き/浅煎り過剰

サットヴァ
6
ラジャス
8
タマス
1
⚠️ 表面と内部の温度差が大きく、酸味が鋭く甘味が弱い

過度な焙煎

時間かけすぎ/深煎り過剰

サットヴァ
2
ラジャス
2
タマス
8
⚠️ 反応が鈍り、または焙煎しすぎで甘味と香りが失われる

サットヴァ・ロースト

水分を活かす焙煎

サットヴァ
8
ラジャス
2
タマス
2
💡 豆全体が均一に整い、甘味と香りが調和した状態

サットヴァ・ローストは、刺激にも停滞にも傾かない、整った焙煎を目指します。

味の比較

項目急激な焙煎
(ラジャス)
過度な焙煎
(タマス)
サットヴァ・ロースト
酸味鋭い、暴れやすいほぼなし、消えている穏やか、落ち着いている
甘味弱い、不十分弱い、重い甘味自然に現れる甘味
苦味尖った苦味重く鈍い苦味過剰でない、調和した苦味
香り強いが一面的弱い、焦げた香り透明感があり多層的
味の安定性低い変化は少ないが鈍い高い
保存安定性劣化が早い変化は緩やかだが質が低い比較的長く風味が持続

ノイズキャンセリング・コーヒーの完成

ノイズキャンセリング・コーヒーは、複数の工程を経て完成します。サットヴァ・ローストは、その中でも味と香りが生まれる中核工程です。

工程何のノイズを消すか方法
生豆の選定原料に含まれるノイズ過剰な刺激と劣化を持つ豆を仕入れない
ビィーンプリント・テクノロジー™豆内部の刺激成分独自処理工程
サットヴァ・ロースト焙煎で生じうるノイズ水抜き・メイラード・秘伝の3要素で豆全体を均一に整える
サットヴァ・キープ保存中の酸化と劣化EMBALANCE技術で生豆の鮮度を保つ
コーノ式かなざわ抽出法抽出後半のノイズ抽出を1/3で止め、ノイズ成分を引き出さない

水分を活かす。豆全体を均一に整える。秘伝の工程で仕上げる。この3つが揃ったとき、コーヒーは深煎りでも甘く、刺激が穏やかな状態になります。サットヴァ・ローストは、ノイズキャンセリング・コーヒーの味を決める要です。

科学的検証ノート(詳細を見る)

検証1:蒸気は空気より効率的に熱を伝える → ✅

Scott Rao(『The Coffee Roasters Companion』著者)が明確に述べている。釜内の湿度が高いと熱伝達効率が上がり、豆の水分損失が早まる。また、蒸気の熱容量が空気より大きいことは物理学の基本事実であり、水蒸気の比熱は乾燥空気の約2倍である。

検証2:湿度環境では豆表面の急激な過熱が抑えられる → ✅

蒸気環境では対流熱伝達が穏やかになるという指摘は、複数のロースターの実証報告と一致する。Roest(サンプルロースター)の技術文書でも、ドラム内の気圧差と湿度が熱伝達・豆の膨張・ファーストクラックの挙動に大きく影響すると記述されている。

検証3:急激な水抜きは酸味を鋭くし、甘味を弱くする → ✅

Ally Coffeeの解説によれば、メイラード反応を速く通過すると酸味と甘味は強くなるが鋭くなりやすく、ゆっくり通過するとより丸みを帯びた酸味・甘味・ボディが得られる。Sucafinaの専門家も、Rate of Riseが焙煎後半で再上昇するとbaked(ベイクド)やbready(パンのような)フレーバーになると指摘しており、「時間をかけすぎるとタマス的になる」という記述と一致する。

検証4:メイラード反応には適度な水分が必要 → ✅

Berto Coffee Roasterの技術文書に「生豆の水分含有量がメイラード反応の速度に強く影響する。メイラード反応には一定量の水分が必要であり、香りの生成にも影響する」と明記されている。水分は単なる除去対象ではなく、反応の条件を左右するパラメータであるという核心と整合する。

検証5:焙煎の進め方が保存安定性に影響する → ✅

急激な焙煎では豆構造が不均一になり、微細な亀裂から揮発成分が逃げやすくなるという記述は、Perfect Daily Grindの専門記事における水分含有量と焙煎構造の関係についての解説と整合する。Christopher Feranも「水分含有量が高い豆の方がカッピングフレーバーが豊かで際立つ傾向がある」と述べている。

検証6:豆自身の水分から生まれる蒸気を活用する → ⚠️ 独自

外部から蒸気を加えてコーヒーの味を改善する試みは一部で行われているが(ベトナムでのスチーム焙煎の事例など)、結果はまちまちである。サットヴァ・ローストが主張するのは外部蒸気の追加ではなく、「豆自身が生み出す蒸気を排出しすぎない」というアプローチであり、これは一般的なロースティング文献ではあまり議論されていない独自の視点である。ただし、Perfect Daily Grindの記事でロースターDavid Wilsonが「ファンスピードを下げ、ドラムを閉じてチャージし、乾燥段階を通じてシステム内の水分を保持しようとしている。熱伝達を改善するためだ」と述べており、実践レベルでは同様のアプローチが存在することが確認できる。

総合評価

サットヴァ・ローストの科学的主張(蒸気の熱伝達効率、水分とメイラード反応の関係、焙煎速度と味の関係、保存安定性への影響)は、いずれも現在のコーヒー焙煎科学の知見と整合する。独自性が高い部分は「水分を活用する」という思想であるが、これも実践レベルでは一部のロースターが同様のアプローチを取っていることが確認できた。サットヴァ・ローストの強みは、これらの科学的事実をアーユルヴェーダのグナという枠組みで統合的に捉え、味の方向性を体系的に説明している点にある。

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